わたくしめの 「iPhone4」 ですが、どうやらフィンランドで生産されたモノのようです。
以下は、先日どなたかがTwitterで呟かれていた内容の転載です。
『iPhone持ってる人!ダイヤルで*#06#を押して、七桁目と八桁目の数字を確認してください。02,20は中国産。質が劣る。08,80はドイツ。質はまあまあ。 01,10はフィンランド。質良し。00,03,04は元々の工場。質かなり良し。 13はアゼルバイジャン。質最高に悪い』
そこで調べてみたところ、『01』でした。
どうだかよく判らないのですが、質が悪いと云われている中国やアゼルバイジャン産ではないようなのでひと安心?です。
尚、この数字には如何なる情報が隠されているか分からないと思ったビビリなわたくし、用心のため七桁目と八桁目以外をモザイクかけてしまいました。
iPhone って、これまで中国で作っているものだとばかり思っていました。いろいろと発売前に情報が漏れてしまう中国。何でもコピーしてしまう風習・・・そのうちいろんな企業の生産拠点から除外されるのではないでしょうか?
これまた、どうでもいい事なんですが・・・
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iPhone までの道程
’90年代・・・そもそも、「Newton」というAppleのPDAの存在は判っていましたが、致命的ともいえる大柄なサイズ、没頭する程の魅力に欠けていたのでしょうか..?
高価でもあったと思いますが、一度も手にする事はありませんでした。
その頃、会社の上司が使っていたシャープの「Zaurus」が、初めて手にする事となったPDAとなりました。
Windows PCとしかSync出来ないという不満は常にありましたが、海外で紛失した後も「ザウルス・ポケット」(1997年発売) に買い替えて使用していました。
2代のモデルを使った「Zaurus」でしたが、「もっと便利なデバイスを…」という想いから、当時インターネットで相当気になりつつも、「Graffiti文字入力」の操作などが困難そうで踏みとどまっていた「Palm」へ。
2000年に入り、「PalmVx」を購入。
MacとSyncできる点がいちばんの購入動機でした。
「PalmPilot」からデザインを一新。スタイリッシュな金属製筐体でモノクロ液晶パネル、日本語OSモデルを使用していました。
純正のハードケースやモデムなどの周辺機器やソフトを揃え、出張移動中の新幹線車内他でPCメールなどして随分と長い期間便利に使用していました。
当時、Palm OS互換機が複数発売され出して、日本で急速にブームとなりましたが、日本メーカーの●ON●が、収拾もつかない程に色々と新モデルを発売するもんだから一気に市場に溢れ出し鮮度を失いました。
全ての原因が、●ON●という訳ではありませんが、まるで本家そのものを潰しにかかるような販売戦略としか思えませんでした。
次に、top画像の「PalmTungsten」というSDスロット搭載の輸入モデルを購入しましたが、環境が全て英語で、先ずOSの日本語化から行いました。
液晶はフルカラーになりましたが、バッテリの持ちが悪く、通信機能も未設定という事で、使用期間は僅かでした。
2003~2004年頃だったと記憶しますが、既に「Palm」のPDAは輸入品しか購入出来なかったと思います。
2005~2006年だったと思いますが、「Zaurus」と同じシャープ製のデバイス「W-ZERO3」の登場に心躍らされました。
当時のJ-Phoneを解約してキャリアをWILLCOMに乗り換えて購入。
このモデル、そこそこに楽しめましたが、携帯電話としてのサイズ、重量に難ありで、特に夏場などの携帯には苦労しました。
そこで、より携帯し易い「W-ZERO3 [es] 」をオークションで安価に手に入れ、気分でSIMを差し換えて使用したりしてました。
そろそろ、「iPhone」が日本市場でも現実的になりかけており、チラチラとApple情報を気にしながらの使用でしたが、この「W-ZERO3」慣れれば慣れる程に、搭載OSである「Windows Mobile」のうっとうしさが募るばかりでした。
こうして想うと、「iPhone」の機能、サイズ、アプリなどは、今のところ文句のつけようがありません。
もうひとつ振り返ると、「PalmVx」もとても優れた製品だったと思います。
モノクロモニターでしたが、なんだか夢がいっぱい詰まっていました。
当時、冗談半分に、「このまま電話できればいいのに・・・」なんてゼスチャーを交えた会話をしていた事も憶えていますが、そんな将来のスマートフォン登場を予感させるようなデバイスでした。
それから数年で現実となり今に至ってます。
進化って凄いですね。